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高野山 霊宝館(れいほうかん)

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高野山と文化財

高野山文化財年表 昭和1年〜昭和29年

  • 1926年 昭和1年
    • 12月25日
      午前1時25分、大正天皇崩御に伴い昭和と改元される。
    • 12月26日
      午前6時30分、伽藍金堂が炎上。堂内本尊秘仏をはじめ旧国宝(重要文化財)の金剛薩タ坐像、不動明王坐像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像、降三世明王立像、金剛王菩薩坐像の諸尊が焼失。六角経蔵、孔雀堂、納経所類焼し午後二時鎮火。両明神御神体、快慶作孔雀明王像、金字一切経(荒川経)24箱は難を逃れ、霊宝館に移安。
      金堂焼失記録 →金堂焼失諸仏
    • 12月28日
      壇上両明神社へ御神体返座。
  • 1927年 昭和2年
    • 2月11日
      黒板勝美博士、大江新太郎、武田五一、金堂再建の件に付き登山。
    • 6月11日
      高野山大学図書館地鎮祭。開館は昭和4年4月16日。
    • 6月28日〜7月20日
      大阪高島屋開催「高野山展覧会」へ宝物16点出陳。
    • 7月19日付
      円通寺宝物調査を登山中の京大沢村博士に点検依頼。
    • 9月16日
      山階宮義磨王殿下午後3時頃御成。
    • 10月1日
      山階宮萩磨王殿下御成。
  • 1928年 昭和3年
    • 4月4日付
      国宝・絵画山水人物図襖十面遍照光院、重文・絵画商山四皓及虎渓三笑図六曲一双遍照光院、重文・絵画梅花雉子図(襖貼付、客殿大広間)十四面金剛三昧院、重文・絵画両界曼荼羅図二幅竜光院、重文・工芸孔雀文磬一面蓮花院、重文・工芸銅五鈷鈴(道範)一口正智院、重文・書跡聖観音造立願文一巻金剛峯寺、重文・彫刻板彫両界曼荼羅(厨子入り)二面金剛峯寺などが指定される。
    • 4月7日
      梨本宮両殿下御登山され、霊宝館を拝観。
    • 5月
      「武田信玄・武田勝頼石塔」が和歌山県の史跡として指定される。
      「奥院五四八番地ノ一、五輪塔ニテ一ハ高八尺『俗名武田信玄、恵林寺殿、天正癸酉年四月十二日逝去』、一ハ高六尺五寸『俗名武田勝頼、法泉寺殿、天正十年三月十一位日逝去』ト刻ス」
    • 5月
      「河野通直母子石塔」が和歌山県の史跡として指定される。
      「奥院五四八番地ノ一、間口十四尺五寸、奥行十六尺ノ石柵ヲ繞セル中に二基ノ五輪塔アリ、一ハ河野通直ノ墓ニシテ高サ七尺六寸、一ハ通直母ノ墓ニシテ高サ七尺八寸」
    • 5月30日〜31日
      東伏見宮大妃周子殿下御登山に伴い特別出陳す。霊宝館へは31日来館。
    • 6月18日
      高野鉄道、高野下〜神谷(紀伊神谷)間を70ヶ所以上の急カーブと23ヶ所のトンネルを掘って開通。
    • 7月17日
      邦尊王殿下御成。正午まで本館御順覧。
    • 8月15日付
      高野山山内国宝種別員数報告、絵画37点、彫刻51点、経巻古文書15点、美術工芸14点、刀剣6点、金石文3点、計126点。特別保護建造物六宇。
    • 11月17日
      金堂地鎮祭。
  • 1929年 昭和4年
    • この年、高野鉄道、神谷(紀伊神谷)〜極楽橋間開通
    • 2月
      「経堂杉」が和歌山県の天然記念物に指定される。
      「奥院、幹周地上五尺ノ処ニテ二丈四尺八寸、樹高約二十間、枝張リ約十間、樹齢約五百年ニシテ、当山第一ノ大杉ナリ、付近ニ之ニ亜ク巨杉少カラズ」
    • 2月
      「明神ノ三本杉」が和歌山県の天然記念物に指定される。
      「高野町字伽藍、三者鼎立シ、第一号ハ幹周二丈四尺五寸、樹高約二十五間、第二号幹周二丈一尺、樹高二十二間、第三号幹周二丈、樹高二十三間、樹齢ハ、第一号第二号ハ約四百年」
    • 2月
      「金剛峯寺ノ大欅」が和歌山県の天然記念物に指定される。
      「高野町金剛峯寺境内、第一号ハ幹周一丈七尺二寸、樹高約十八間、枝張リ十五間、第二号ハ幹周一丈四尺五寸、樹高十五間、枝張リ十一間」
    • 10月27日
      竜光院瑜祇塔上棟式。
    • 11月28日
      高野山大学校舎新築祝賀式。
  • 1930年 昭和5年
    • この年、重文・不動明王立像(蓮上院)が修復される。
    • 5月23日付
      重文・書跡諸経要集巻第五一巻、重文・書跡註仁王般若経巻第一一巻、重文・書跡放光般若波羅蜜経巻第九(光明皇后御願経)一巻竜光院が指定となる。
    • 6月
      「奥ノ院奥ノ大栃」が和歌山県の天然記念物に指定される。
      「奥院、幹周一丈八尺、樹高約十二間、樹齢凡ソ八百年、当山第一ノ大杉ナリ、付近ニ之ニ亜ク巨杉少カラズ」
    • 6月
      「楊柳山ノ大栂」が和歌山県の天然記念物に指定される。
      「楊柳山、幹周一丈五尺、樹高約十四間、樹齢凡ソ四百年」
    • 6月29日
      高野鉄道、極楽橋より山上までケーブルカーが開通する。
    • 7月9日〜11日
      清浦圭吾伯爵高野山登山。この間に霊宝館扁額を揮毫。
  • 1931年 昭和6年
    • 10月5日
      水原堯榮師「高野山見存蔵経目録」発行。
  • 1932年 昭和7年
    • この年、快慶作重文・阿弥陀如来及両脇持立像(光台院)が修復される。
    • 4月14日
      高谷篁圃父子、金堂の大師像揮毫の件に付き、来訪あり。
    • 4月28日
      電車が大阪より高野山まで直通となる。
    • 5月23日
      一乗院全焼。四時半火災を報じる。一乗院全焼漸く門を残すのみとなる。
    • 6月21日
      水原堯栄『高野版の研究』を著す。
    • 8月2日
      高村光雲翁、及び景雲来所(金堂本尊造立のため)。
    • 8月8日
      根本大塔立柱式。
    • 10月1日
      「高野山霊宝集」を金剛峯寺から発行。
    • 10月26日
      今季大演習のため将星の来県と共に自然登山相次いで軍人の来館多数之。
  • 1933年 昭和8年
    • 4月19日
      土田麦僊、宝亀院屏風模写のため来訪直ちに執筆。
  • 1934年 昭和9年
    • 1月10日〜27日
      東京三越呉服店において「弘法大師千百年記念展覧会」開催。
    • 3月15日〜5月13日
      大阪朝日新聞社主催による「弘法大師文化大展覧会」が主要な都市で開催される。
    • 4月2日〜5月21日
      弘法大師一千百年御遠忌大法会開催。期間中拝観者51158名。午前10時金堂落慶式を以て大法会の幕が落とされた。
    • 4月10日〜5月13日
      大阪朝日新聞社主催による「弘法大師文化大展覧会」が大阪南海高島屋で開催。
    • 7月17日
      本日燈火管制実施された。
    • 7月31日付
      重文・後小松天皇宸翰秘調伝授書一幅が重要美術品に指定される。
    • 9月21日
      大暴風雨。午前5時過ぎ希有の暴風雨となる。樹木倒れ、屋根少々破損。山内被害甚大。交通機関途絶、電灯電話不通(室戸台風)。
    • 12月20日付
      愛染明王像一幅(目黒隆見所蔵)が重要美術品に指定される。
  • 1935年 昭和10年
    • 6月10日〜11日
      東久邇宮妃殿下貴賓室御着3時10分。本館同40分、御発4時10分。
    • 6月24日
      希有の大雨にて出水。東小田原以東被害多し。
    • 9月29日
      28日賀陽宮大妃好子檀家登山。29日本館御成。午後1時20分総本山御発にて御下山。
  • 1936年 昭和11年
    • 1月14日
      大師教会本部にて宮中後七日御修法遙拝式。
    • 3月19日〜12年7月2日
      大塔壁画に八祖像を揮毫する事に定まり、筆者堂本印象作画参考に八祖像貸出。
    • 5月13日
      午前3時30分、宝亀院火災。大事に至らず鎮火する。
    • 6月1日
      午前零時55分、西門院納屋三棟全焼。
    • 8月7日
      東久邇宮厚盛王殿下御来館。
  • 1937年 昭和12年
    • 2月8日〜6月末日
      木村武山画伯に金堂奉安像揮毫のため高野明神画像貸出。
    • 4月20日〜5月20日
      大塔落慶記念展開催。落慶法会始まる。早朝重文・血曼荼羅を大塔に掲げ法要。
    • 5月25日付
      重文・書跡佛頂尊勝陀羅尼経一巻正智院が指定される。
    • 6月2日
      久邇宮大妃殿下東伏見伯御夫婦御登山御拝観。
    • 7月29日
      防空演習第一日が始まる。灯火管制非常管制。
    • 9月11日
      午前3時頃より大暴風襲来し、紫雲殿屋根瓦を吹き飛ばす。
  • 1938年 昭和13年
    • 6月23日
      午後11時30分、正智院より出火。庫裡全焼。本堂及び会下半焼して零時30分鎮火する。
    • 7月4日
      降雨の為、明王院裏山崩壊、本堂及び位牌堂大破。
    • 9月5日付
      重文・絵画武田信玄像一幅成慶院が重要美術品に指定される。
    • 12月21日付
      星曼荼羅図一幅親王院蔵が重要美術品に認定される。
  • 1939年 昭和14年
    • この年金剛峯寺真然堂修理が行われ軒周り、小屋組・軸部補強・仏壇廻り、内部壁面に真言八祖像が貼られる。
    • 4月20日
      刊行会編『高野山文書』七巻、完結する。
  • 1940年 昭和15年
    • 5月23日
      午後3時、五坊寂静院出火。全焼。
    • 9月27日付
      重文・絵画浅井久政像・浅井長政像・浅井長政夫人像三幅持明院が重要美術品に指定される。長政・長政夫人像のみ。
  • 1941年 昭和16年
    • 7月3日付
      重文・普賢院蔵、五大力菩薩像(金剛吼・竜王吼・無畏十力吼・雷電吼・無量力吼)五幅が旧国宝に指定される。
    • 9月24日付
      重文・絵画菊図・菊図賛(慶仲周賀等十僧筆)二幅遍照光院が重要美術品に指定される。
  • 1942年 昭和17年
    • 4月7日
      大阪高島屋にて堂本印象筆大塔内柱絵十六大菩薩像を展観する。4月下旬には大塔柱に貼り付け完成。
  • 1944年 昭和19年
    • 5月8日
      午前4時文化通地区訓練。空襲仮想の下に爆弾投下し訓練を行う。
    • 6月15日
      午後6時10分前突然中部地区、西部地区に警戒警報発令される。以後終戦まで頻繁に警戒警報発令される。
    • 7月14日〜21日
      請雨法を金堂にて行う。国宝・善女龍王像を祀る。
  • 1946年 昭和21年
    • 11月〜
      進駐軍が頻繁に拝観するようになる。
  • 1948年 昭和23年
    • 4月1日
      『高野山霊宝大観』図録B4版を発行する。編集者堀田真快、発行者近藤本玄、発行所金剛峯寺。
  • 1949年 昭和24年
    • 2月18日付
      国宝・書跡金銀字一切経(中尊寺経)四二九六(四三一二)巻金剛峯寺が(旧)国宝に指定される。
    • 5月26日付
      重文・牒形磬一面親王院蔵が重要美術品に指定される。
    • 5月30日付
      重文・書跡五行大義巻第五(宝治二年九月中旬校点之)一帖三宝院、重文・書跡紺紙金字一切経(荒川経)三五七五巻(三五七八)金剛峯寺、重文・書跡白氏文集巻第三残巻一巻三宝院、重文・書跡法華一品経二八巻金剛峯寺、重文・書跡大和益田池碑名並序一巻釈迦文院がそれぞれ指定される。
  • 1950年 昭和25年
    • 8月29日付
      旧国宝指定品の大半が重要文化財として指定変更された。
    • 8月29日付
      重文・考古南保又二郎納骨遺品一基金剛峯寺が指定される。鋳出三尊仏像は大正12年、奥の院御廟修理工事中に発見。
    • 8月29日付
      重文・飛行三鈷杵(伝弘法大師所持)一箇金剛峯寺が指定される。
  • 1951年 昭和26年
    • 6月9日付
      国宝・絵画仏涅槃図一幅金剛峯寺、国宝・工芸澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃一合金剛峯寺、国宝・書跡金銀字一切経(中尊寺経)四二九六(四三一二)巻金剛峯寺、国宝・絵画阿弥陀聖衆来迎図三幅有志八幡講が国宝指定となる。旧国宝指定日は各、明治41年1月10日、明治30年12月28日、昭和24年2月18日、明治39年9月6日。
  • 1952年 昭和27年
    • 3月29日付
      重文・崔子玉座右銘断簡一巻宝亀院が指定される。
    • 3月29日付
      国宝・絵画山水人物図襖十面遍照光院、国宝・建造物金剛峯寺不動堂(伽藍)一棟金剛峯寺、国宝・書跡紫紙金字金光明最勝王経十巻竜光院、国宝・書跡大字法華経(第三巻欠)明算白点本七巻竜光院が国宝に新指定される。旧国宝指定日は各、昭和3年4月4日、明治32年4月5日、明治41年1月10日、明治30年12月28日。
    • 11月22日付
      国宝・書跡法華経巻第六(色紙)一巻金剛峯寺が国宝に指定される。指定変更。旧指定日は大正9年4月15日。
    • 11月22日付
      国宝・絵画阿弥陀三尊像一幅蓮華三昧院、国宝・絵画五大力吼菩薩像(金剛吼・竜王吼・無畏十力吼)三幅有志八幡講、国宝・建造物金剛三昧院多宝塔一基金剛三昧院が国宝に指定される。旧国宝指定日は各、明治41年1月10日、同、明治32年4月5日。
  • 1953年 昭和28年
    • 3月31日付
      重文・絵画五部心観一巻西南院、重文・工芸牒形磬一面親王院が指定される。
    • 7月18日〜
      終日、降雨著しく、午後4時前後には高野山においても浸水する家屋があり、特に東西小田原蓮華谷においては、道路は川と化した。このため高野電車停止、電灯は消えた。この時の水害は「紀州大水害」と呼ばれ、紀州地方において多くの犠牲者と家屋の損壊を出した。
      高野山大水害記録(紀州大水害)
    • 7月21日
      東北の風雨。付近花園村、野迫川村等災害の為、負傷者の救助、食料物資の送付、現場救助作業等、右往左往する各種団体等で、混雑した。
    • 11月14日付
      重文・絵画愛染明王像一幅金剛三昧院、重文・書跡後小松天皇宸翰秘調伝授書一幅西南院、重文・書跡金剛峯寺根本縁起一巻金剛峯寺などが指定される。
    • 11月14日付
      国宝・絵画善女龍王像一幅金剛峯寺、国宝・絵画伝船中湧現観音菩薩像一幅竜光院、国宝・書跡文舘詩林十二巻正智院、国宝・書跡文舘詩林残巻一巻宝寿院、国宝・書跡宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集二九八巻一五冊金剛峯寺が新国宝指定となる。旧国宝指定日は各、明治41年1月10日、同、明治42年4月5日、明治41年1月10日、明治41年4月23日。
    • 12月6日
      重文・金字一切経修理。
  • 1954年 昭和29年
    • 3月20日付
      国宝・絵画勤操僧正像一幅普門院、国宝・書跡細字金光明最勝王経二巻竜光院が新国宝に指定される。旧国宝指定日は各、明治30年12月28日、明治41年1月10日。

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