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昭和28年(1953年)7月に降った大雨は高野山をはじめ、近隣にも甚大な被害をもたらしました。このときの水害は後に「紀州大水害」と呼ばれるようになり、紀州一帯で千人以上の方々が亡くなられたと言われています。
下の写真は高野山内での水量の様子を写している貴重なものですが、山上でこれだけの水量だと下流地域では想像を絶する状態だったと思われます。隣の花園村では全村壊滅状態に陥るといった大災害となりました。
当時の霊宝館日誌から、その時の状況を読みとることができますので、以下にご紹介いたします。
(以下の写真は町家の方から提供を受けました。)
山内の道路が川のようになっています。想像を絶するような水量です。
地面の白い部分はすべて水です。
ようやく水が引きはじめた頃かと思われます。
写真左:伽藍前の道路 写真右:大門付近と思われます。
写真左:寺院(三宝院前とも)の庭先が川のようになっています。
写真右:近隣の集落でしょうか。壊滅状態になっているのがわかります。
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