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平成27年(2015)は、宥快・長覚両先徳が亡くなられて、ちょうど600年目になります。宥快・長覚は、室町時代に高野山教学の興隆に尽力し、その興隆は、のちに「応永の大成」と呼ばれるほどでした。宝性院院主であった宥快の学派は宝門、無量寿院院主であった長覚の学派は寿門と呼ばれ、当時の高野山の教学を二分する勢力でした。その後も塔頭寺院筆頭格として江戸時代まで続き、明治時代になり両院は合併し、宝寿院となりました。
宝寿院には、宥快・長覚両先徳の遺品も含めて、宝性院、無量寿院に所蔵されていた名品の数々が、今もなお伝わっています。そこで、両先徳没後600年を記念して、「宝寿院の名宝」と題し、宝寿院に伝わる文化財を紹介します。
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常設展示では、平清盛が自らの頭の血を混ぜて描いたという「両界曼荼羅図(血曼荼羅)」を復元再生した「想定色平成再生版曼荼羅図」を展示しております。
展示は、平成28年1月11日(月曜日・祝日)まで。
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