大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊(しょぶっしょそん)の根本仏として帰依し観想されている本尊です。
大日如来の名前は、大日の智恵の光が、昼と夜とで状態が変化する太陽の光とは比較にならないほど大きく、この世の全てのものに智恵の光をおよぼして、あまねく一切を照らし出し、また慈悲の活動が活発で不滅永遠であるところから、特に太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名づけられています。
真言密教の根本経典である『大日経(だいにちきょう)』と『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』には、衆生の救済者としてそれぞれ異体的な性格をもち、特定の誓願をもった諸仏諸菩薩をはじめ諸神が説かれていますが、これらの全ての諸尊は、大日如来より出生し、大日如来の徳をそれぞれが分担し、また衆生救済にあてられている諸尊の働きも大日如来の徳の顕現であると説かれています。
根本経典である両経には、大日如来の徳の現れ方を、多くの諸尊との関係において説かれていますが、その関係を図示したものが胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅で、この両曼荼羅を総称して両部(両界)曼荼羅と呼ばれています。
この両部曼荼羅に描かれている大日如来の姿は、釈迦如来や阿弥陀如来のような出家の姿ではなく、うず高く髪を結(ゆ)うなど、一般に菩薩形と呼ばれる姿をされて他の如来とは異なっている点が特徴といえます。菩薩形の姿である大日如来は、宇宙の神格化とも考えられる密教観から、宇宙の真理そのものを現す絶対的中心の本尊として王者の姿をされているといわれています。その姿は帝王にふさわしく五仏を現した宝冠(ほうかん)をつけ、菩薩よりもさらにきらびやかな装身具を身にまといます。背に負う光背は円く大きなもので日輪を表し、諸仏諸尊を統一する最高の地位を象徴するにふさわしい威厳のある姿です。
大日如来の姿の基本は変わりませんが、両部曼荼羅に描かれる大日如来の手の結び方(印相)が異なるところから、古来より胎蔵大日如来・金剛界大日如来と区別して呼ばれています。
胎蔵大日は、膝上で左の掌を仰けておき、その上に右の掌をかさね左右の親指の先を合わせ支える「法界定印」を結び、金剛界大日は、胸の前にあげた左拳の人差し指をのばし、右の拳をもって握る「智拳印(ちけんいん)」を結んでいます。
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