阿弥陀如来は、無量寿(むりょうじゅ)如来または無量光(むりょうこう)如来と漢訳されています。『無量寿経(むりょうじゅきょう)』には「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免(まぬが)れしめる」と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
日本では極楽浄土の思想が普及し、西方極楽浄土の教主「阿弥陀」として最も広く盛んに信仰された仏です。
特に阿弥陀如来のたてた四十八の本願のうちの往生願には、阿弥陀如来を念仏すれば、この世の生(せい)を終えても、次には西方極楽浄土の宝池の蓮花の上に往生し、如来の説法を聞きつつ、無限の生を享受して、心安らかに楽しく生活することができると約束されています。
また、臨終に際して、阿弥陀如来自(みづか)ら観音・勢至の両菩薩や諸菩薩を率いて、極楽浄土から迎えに来るという来迎引接願もよく知られています。
阿弥陀如来の姿には、説法相、定印相、来迎相があり、三種類の手の組み方(印相)があります。さらに『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に説く往生者の機根の高低、信仰の深浅に応じて九種の来迎があるとされることから、前記の三種類の印相を基本に九つの手の種類による九品の阿弥陀の姿が考えだされています。
真言密教で表される阿弥陀如来は、衆生の宗教的素質がどのようなものかを妙(たえ)に観察し、真理の教えを説いて疑惑を断じ、衆生にその本性が清らかで蓮華のようであることを知らしめる大日如来の妙観察智の徳をつかさどる仏です。つまり大日如来の徳の一つを阿弥陀如来が受け持っているわけです。
胎蔵曼荼羅では中台八葉院西方の無量寿(むりょうじゅ)如来と同体異名となります。
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