大元帥明王は梵名アータヴァカといい、阿た縛迦・阿た婆拘などと表記されます。その呼び方ですが、「帥」を読まず「たいげんみょうおう」と呼び慣わされています。
元来は子供を喰い殺す悪鬼(夜叉神)であったのが仏教にとり込まれ、国土や衆生を護る明王となったほとけです。
日本へは入唐八家の一人常暁(じょうぎょう・?〜866年)が本格的にこの尊(そん)に関する儀軌や曼荼羅を請来し、鎮護国家・外敵降伏などを目的として大元帥明王を本尊とする大元帥御修法(大元帥法)が大々的に行われるようになりました。平将門や藤原純友の反乱の際にもこの修法が行われ、効験が期待されたようです。
その姿は京都・醍醐寺本にみられる一八面三六臂・六面八臂・一面四臂像、高野山西南院本にみられる三面八臂像などさまざまに描かれますが、いずれも非常に恐ろしい形相で蛇を体に巻き付け、邪鬼を踏みつけるなど、一度見たら忘れられない姿をしています。
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