十二宮は太陽の運行経路である黄道を12の星座で分けたもので、その成立は古くチグリス・ユーフラテス両河流域に発展したカルデア文化(紀元前六〜七世紀)にまでさかのぼります。
自らの生まれ月を12の星座に配し、その宮が人生の禍福をつかさどる・・・という説明も不要なほど西洋占星術・星占いは身近なものとなっていますが、この十二宮は東西に伝幡し、インドから中国を経て密教に取り入れられていることは、あまり知られていないのではないでしょうか。
唐の乾元二年(七五九)に不空によって漢訳された「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」(「宿曜経」)は、インドで案出された暦法を基本に、中国の暦法との調和をはかって著されたもので、十二宮や月の運行経路である二十八宿について説かれます。
「宿曜経」には十二宮の形像について説かれてはいませんが、星曼荼羅や胎蔵曼荼羅の最外院にその姿がみられます。現在一般に知られる十二星座とほとんど変わりませんが、西洋の双子座は夫婦の姿(夫婦宮)、山羊座は口を開いた大魚(摩竭宮)となるなど、多少の違いはあります。
以下、宿曜経による十二宮の名称と、胎蔵曼荼羅において配される方位です。カッコ内は別称です。また「宮」は「きゅう」とも読みます。
<東方>
画像左から、
羊宮・ようぐう(白羊宮・持羊神)、牛宮・ごぐう(牛密宮・金牛宮)、夫婦宮・ふうふぐう(婬宮・陰陽宮・男女宮)
<南方>
摩竭宮・まかつぐう(摩蝎宮)、賢瓶宮・けんびょうぐう(瓶宮・宝瓶宮)、双魚宮・そうぎょぐう(魚宮・二魚宮)
<西方>
秤宮・びんぐう(天秤宮・秤量宮)、蝎宮・かつぐう(蝎虫宮・天蝎宮)、弓宮・きゅうぐう(天弓宮・人馬宮)
<北方>
蟹宮・かいぐう(巨蟹宮)、師子宮・ししぐう(師子神主)、女宮・じょぐう(少女宮・室女宮)
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