国宝|一棟|鎌倉時代|金剛峯寺|明治32年4月5日指定 昭和27年3月29日国宝指定
不動堂の創建は建久9年(1198年)鳥羽上皇の皇女、八条女院を願主として建立されたと伝え、その落慶導師(らっけいどうし)を一山の興隆に尽力した行勝(ぎょうしょう)上人(1130年〜1217年)が勤めたとされています。
不動堂の外観は、平安貴族の邸宅風で優美な趣を湛え、また四方から見た建物や屋根の形態がそれぞれ異なるなど、早くより注目され、明治32年(1899年)、国宝(旧)に指定されました。
明治41年(1908年)には解体修理が施され、その折り、一心院谷から現在の地に移築されました。下の写真は一心院谷に建っていた頃のもので、正面には金輪塔が見えています。
また、平成10年11月、全面解体保存修理が完了し、現在の建物の建立年代が鎌倉後期頃であることが推定されました。
本不動堂内部には、護摩を焚いたことによる煤や薫香等の付着が無く、住坊として使用された形跡も見当たらないことから、その目的等明確にならない部分も多いことがあげられます。ただ古来より、運慶作の八大童子像と本尊不動明王が祀られていたことから、「不動堂」と呼ばれています。
主屋は正面三間、奥行四間で、その両側に脇室を設けています。堂内には木目漆塗に飾金具を打った須弥壇(しゅみだん)を置き、他の部材は素木で、天井は折上小組格天井としています。勾配のゆるい屋根は檜皮葺(ひわだぶき)となっています。
このページは以上です。
Copyright 高野山霊宝館 All Rights Reserved