【この企画展は終了しました】
平清盛ゆかりの地は、京都をはじめ神戸や広島の厳島などがよく知られています。しかし高野山にも清盛ゆかりのものが残されています。「平家物語 第三巻 大塔建立」には清盛が厳島神社を信仰するきっかけとして、次のように高野山が出てきます。
清盛は鳥羽院の命にて高野山の大塔の修理を行いました。修理完成時に参詣した清盛は、一人の老僧に出会います。その老僧は大塔の修理のお礼を述べ、荒れている厳島の修理を清盛に依頼しました。奥之院の方へ去る老僧の姿はしばらくすると、ふとかき消えてしまいました。清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと知り、ますます信仰を深め、金堂に曼荼羅を奉納しました。その時奉納した曼荼羅は、胎蔵界大日如来の宝冠に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたとあります。この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで大切に伝えられています。
この展覧会では「血曼荼羅」を中心に、清盛の周辺人物に関わる品や、清盛時代の仏像や絵画などを展示します。清盛の時代には白河院、鳥羽院、後白河院も高野山に登山参拝したという記録があります。清盛時代の高野山は当時の人々にも大きな影響を与えていました。そのような当時の高野山を感じていただけたら幸いです。
胎蔵界曼荼羅の中心、大日如来の宝冠部分に清盛の血を混ぜて描いたと言われています。
八条女院(鳥羽院の皇女)の御願院として建立された一心院の本尊、不動明王とともに祀られていました。これら八大童子の願主は八条女院と言われており、運慶の作となっています。
奥之院からは中国、宋時代の磁器も多く出土しています。これらは清盛が推進した日宋貿易でもたらされたものです。
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