昭和40年の高野山開創1150年記念大法会の記念事業として、奥之院御廟の周辺整備と灯籠堂の新築工事が昭和37年から行われました。その際に、御廟や灯籠堂周辺から銅製仏像・鏡・古銭・納骨器・灯明皿・石仏・石塔など多彩な埋納品が出土発見されました。なかでも12世紀初頭に埋納された比丘尼法薬埋納経塚遺物が発見されたことは、当時としても一大センセーショナルな出来事でした。
古来から高野山は、弘法大師信仰を中心に、弥勒浄土信仰、密厳浄土信仰、阿弥陀浄土信仰などが融合しつつ独特の高野浄土観というものが存在しました。江戸時代には日本の総菩提所と称されるほど、霊場信仰の代表的存在として人々の心に浸透していました。
人々は弘法大師を慕い高野浄土をめざし、安住の地として納髪や納骨を行い、さらに弥勒菩薩が下生し人々を救済する場に立ち会いたいという願いのもと写経供養し、大師廟の周辺に埋納したことが考えられます。奥之院は、このようなさまざまなものが大師信仰、高野浄土のもと埋納され、歴史の歩みを包蔵する類例のない信仰遺跡でもあることがわかります。
今回の特別陳列では、膨大な出土品の中から比丘尼法薬関係を中心として、昭和37年の発見以前に出土した七世紀後半の金銅菩薩像や金銅光背、また平安時代後期の金銅基台など、特に優れた埋納遺品を出品致しております。
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