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天正十三年(1585)、豊臣秀吉は高野山を焼討ちしようとしましたが、木食応其上人の働きかけにより中止しました。上人に帰依した秀吉は、高野山の庇護者となり、25棟もの堂塔を再興させました。 また、秀吉の養子・秀次は、寵を失い高野山に追放され、自刃を命ぜられました。その折に詠んだとされる辞世の句もあわせて公開します。
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