要 旨
写経とは文字どうり経を写すことなのであるが、そこには釈迦の説いた教えの広伝と継承の目的を荷っている。そのためには、一字一句の間違いもゆるされないはずで、古代には写経を専門とする写経生が護国思想に主眼をおいた国家事業として、厳しい管理下で書写しており、料紙も黄色に染色した麻紙などが多く使用された、いわゆる天平写経がそれである。
平安時代も中期以降になると、未法思想からくる法華経信仰が風靡し、受持・読経・書写する者への極楽往生が約束され、女人成仏を説く唯一の経典として、法華経写経の黄金時代が到来したのである。さらには、弥勒下生までに経典を遺す埋納経信仰も写経に拍車をかけた。それらの写経は、前代の組織的なものではなく、宮廷や貴族社会を中心としたものであったがため、料紙においても極めて自由で贅美を尽くしたものが登場する。金銀泥で蝶や鳥、草花を描いた蝶鳥下絵経や金銀砂子や切箔、野毛などふんだんに使用したもの、きらには紺紙や紫紙に金銀で写経した荘厳経と呼ばれるものが多く現存している。なかでも特筆すべきは、六、七千巻からなる長大な経典群からなる「一切経」書写である。莫大な費用が必要であったであろう写経事業ではあるが、当時はかなり行われたようで、その劈頭を飾るものに天治三年(1126)藤原清衡が中尊寺に奉納した紺紙金字一切経があり、平治元年(1159)鳥羽法皇の菩提のために皇后美福門院が奉納した金字一切経(荒川経・3775巻)が共に高野山に伝来している。
これらは紺紙に金・銀泥にて書写しており、八百年以上経た現在もその輝きを失うことなく、さながら暗黒に経文のみが光り輝くさまを現出させている。
このように写経は、単に釈迦の教えを継承させるというだけの目的でなく、写経をすることによる功徳も説かれていることから、現世利益や来世往生を願い、さらに極楽国土をイメージさせる装飾と荘厳を尽くした料紙への写経へと繋がっていくのは当然の帰結といわねばならない。天平写経のどっしりとして張り詰めた格調高い書体の味わい、装飾経の絢爛豪華な料紙の品格など、写経にみられる荘厳の美を堪能していただければ幸いです。
【天平写経】
重文 増一阿含経三十二 一巻 金剛峯寺
重文 不空羂索神変真言経 二巻 三宝院
重文 仏頂尊勝陀羅尼経 一巻 正智院
重文 大字法華経 一巻 竜光院
国宝 紫紙金字金光明最勝王経(附経帙)一巻 竜光院
国宝 放光般若波羅蜜経巻第九(光明皇后御願経)一巻 竜光院
【装飾経】
国宝 金銀字一切経時(中等寺経) ニ巻 金剛峯寺
重文 金字一切経(荒川経) 二巻 金剛峯寺
重文 般若心経 霊元天皇宸翰 一巻 金剛峯寺
重文 法華一品経 二巻 金剛峯寺
仏説阿弥陀経 一巻 金剛峯寺
華厳経 一帖 金剛峯寺
【埋納経】
重文 妙法蓮華経 一巻 金剛峯寺
重文 無量義経 一巻 金剛峯寺
重文 観普賢経 一巻 金剛峯寺
重文 般若心経 一巻 金剛峯寺
【その他】
国宝 細字金光明最勝王経 一巻 竜光院
重文 註仁王般若経巻第一 一巻 竜光院