要 旨
南山とは、比叡山延暦寺を北嶺と呼称するのに対する高野山金剛峯寺の別称である。
弘仁七年(816) 弘法大師により開創された南山は、直接の後継者である諸弟子はもとより、爾来、幾多の先徳によって護持継承され現在にいたっている。南山にはそれら先師高徳の肖像画が数多く伝えられており、また、各山内寺院にも個別の先徳肖像画が存在する。
肖像画が描かれるには、一般に大きく分けて二つの事柄が考えられる。先ず第一に寺院を創建したとか、中興の祖であるとか、特定の人物が生前中に偉大な業績を成しえたことに対する顕彰によるもの、第二に、高貴な人格者で、多くの人々に尊崇され、追慕・渇仰の念より描かれるもの、などが挙げられる。さらに真言宗における高僧・高徳の肖像画の場合は、前記の事柄は勿論のこと、肖像そのものを法として、仏菩薩と同等として尊崇するところまで高められ、また、法の正統性を示すものとして、極めて重要視されているのが特徴である。
以上のことからも、南山には幾多の先徳の肖像画が伝えられていることが理解できるのであるが、その中から今回出陳する先徳の肖像画を抜粋し、時代の流れの中において、ごく簡単にご紹介してみたい。
まず、弘法大師の跡を継いで伽藍や経済的基盤を完成させた実恵(786〜847)・真然(804〜891)両大徳をはじめとする諸弟子、正暦五年(994)山上大火に起因する衰退から復興の口火を切った祈親上人定誉(998〜1047)、またその弟子であり教学・事相の地位を高め、南山中院流の祖と仰がれる明算大徳(1021〜1106)、さらに蓮華乗院(現在の伽藍大食堂)建立奉行として尽力した歌人としても有名な西行法師(1115〜1190)、なども平安期における代表的な先徳とすることができよう。
中世期に入ると教学面において秀でる僧も多く、高野八傑と呼ばれた八人の秀才学僧なども輩出し、なかでも道範大徳(1178〜1252)は、その著書七十余部二百巻に及ぶという学僧である。また、高野浄土・弘法大師信仰を世に唱導し、経済的な勧進などの役割をも果たした「高野聖」の一つ、蓮華谷聖の祖といわれる明遍上人(1142〜1224)なども挙げられる。
室町期には南山教学の大成者、宥快(1345〜1416)・長覚(1340〜1416)両尊師が時を同じくして輩出し、真言教学を向上させた。
近世では決定的であった秀吉の高野攻めから救い、多くの諸堂建立にも尽力した楚仙木食応其上人(1537〜1608)、行人方興山寺五世雲堂法印(?〜1692)、国学中興の碩匠契沖阿闍梨(1640〜1701)などの諸先徳か挙けられる。
今回の企画展では、南山祖師弘法大師像(御影)とその師、勤操僧正像をはじめ、先徳肖像画、並びに墨跡・遺品などを展示し、南山諸先徳の業績を顕彰するものであり、皆々様のご高覧を乞うものであります。