ごあいさつ 法華経信仰は、わが国に仏教が伝来して以来、現在にいたるまで絶えず広くおこなわれている。その信仰は聖徳太子による法華経講讃にはじまり、律令時代には仁王経・金光明最勝王経とともに護国三部経として仰がれた。 平安時代には最澄が唐から天台宗を伝え、法華経にもとづく法華教団を樹立すると、その教えは朝野に広がり、法華経は平安文化の精神的支柱となった。やがて貴族社会を中心に各所で法華会が営まれ、また善美をつくした装飾法華経八巻ないしは、二十八品の書写が一大盛事をなすにいたった。 さらには、浄土教の隆盛にともない、当来仏弥勒の出生までこの経を残そうとした経塚造営の流行をみた。 高野山には、藤原道長の埋納を初例とし、奥院弘法大師廟には現当二世の安楽を願う貴紳によって経塚が造営されている。中でも天永四年(1113)在銘の経塚(比丘尼法楽埋納経)は有名である。また御影堂宝庫には戦乱を逃れてもたらされた写経や、一般民衆が書写施入したものが伝来する。高野山麓天野丹生都比売神社にも、法華講の本尊として法華経が奉納されている。 この展覧会では、華麗に装飾された法華経の美を鑑賞することを目的とし、平安時代の遺品を中心に、その先駆となつた奈良時代、および影響をうけた鎌倉時代のものも合わせて展示いたします。とくと御清鑑下さい。 |
指定 | 名称 | 員数 | 時代 | 所有寺院 | |
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国宝 | 大字法華経(巻第三欠) | 七巻 | 奈良時代 | 竜光院 | |
重文 | 高野山奥院出土遺物 天永四年(1113)在銘経塚〈比丘尼法薬埋納経〉遺物より 紺紙金字法華経(開結共) | 十巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
国宝 | 〈中尊寺経〉のうち 紺紙金字法華経巻第一 〈秀衡紺紙金字一切経〉 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
国宝 | 〈中尊寺経〉のうち 紺紙金字法華経巻第二 〈秀衡紺紙金字一切経〉 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
国宝 | 〈中尊寺経〉のうち 紺紙金字法華経巻第四 〈大治三年(1128)八月六日一日経〉 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈中尊寺経〉のうち 紺紙金字法華経巻第八 〈大治三年(1129)八月六日一日経〉 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
重文 | 紙金字一切経〈荒川経〉のうち 平治元年七月美福門院発願 法華経巻第二 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
重文 | 紙金字一切経〈荒川経〉のうち 平治元年七月美福門院発願 法華経巻第三 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
重文 | 紙金字一切経〈荒川経〉のうち 平治元年七月美福門院発願 法華経巻第四 | 一巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
重文 | 紙金字法華一品経(開結共) (寿量品第十六・普門品第二十五欠) | 二十八巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 細字法華経 | 八巻 | 平安時代後期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経方便品第二 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経薬草喩品第五 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経授記品第六 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経化城喩品第七 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経提婆品第十二 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経勧持品第十三 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経涌出品第十五 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経随喜功徳品第十八 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 | |
未指定 | 〈天野社経〉のうち 法華経薬王品第二十三 | 一巻 | 鎌倉時代初期 | 金剛峯寺 |