霊宝館開館記念「高野山霊宝展」
大正10年3月
序

惟みれば我高祖 弘仁聖朝の勅許を蒙り、法城を此霊域にトせしより茲に一千百余年、五智の法水普く群生をうるおし、三密の数風長へに遐邇(かじ)に扇く、基山容たるや、積翠重畳自ら曼荼海曾の荘厳を現し、香雲靉◇(あいたい)宛として密厳仏国の色相を示す、是故に
歴聖深く叡信を垂れ給ひ、公卿武将より庶民に至るまで渇仰の誠を運ひ、其信仰の凝る所、画棟懲彩梁空に聳へて輪奐の美碧映発し、香雲花雨四時絶ゆることなく、名徳高僧法燈相継て祖風を宣揚し、今に至りて猶天下の帰信を鍾め、霊輝彌々宇内に光被するものあるを見る、茲を以て霊宝珍什庫蔵に充溢するもの枚挙に遑あらす、即ち大師請来の珍宝を主とし、高僧巨匠の手に成れる仏像、仏画、仏器、写経、及ひ詔勅、官符、図書、刀剣の類に至るまて悉く皆其法儀に於て最も尊重すべく、歴史に於て最も信頼すペく、美術に於て最も鑑賞すべきものにして、現に国宝に指定せられたるもの百数十点の多きに達せり、就中夫の阿弥陀聖衆来迎図の如き基信念の発露する所、紳韻瓢緲(ひょうびょう)とし浄刹に遊ふの感あらしめ、赤不動尊画像の如き、心機感発する所、威厳人を壓(あつ)するの概あり、識者観て以て我国仏教に於ける顕密二数の代表仏画として天下の絶品と推称するもの洵にに所以なきに非さるなり
今や我山新に霊宝館建設の功成るを告げ、満山の秘珍霊宝を一堂の下に収容して、之れか、永世保存の策を講し、併せて舘を公開して広く世人の拝観に供するに当り、更に満山所蔵の宝物中に就き粋を抜き英を集め、国宝に指定せられたるもの百余点、及ひ堂塔伽藍の主要なるもの数ケ所を選択し、之を撮影玻璃版に附し以て世に公にし、題して高野山霊宝帖といふ、載する所のものは、悉く宗教的感激の発露に非れば、甚深なる信仰の結晶のみ、之を以て世の尋常美術工藝品と同一の看を為すべからざるなり、期する所は秘密内證の境界を仰き、曼荼海会の風光に接触し、祖徳を発揚し、信根を培養せんとするにあるのみ、若し夫由りて以て東洋美術の粋を研め、史上興亡の跡を尋ぬる資に供せは、文化と世道とに於て、豈少補なしといはむや、之を以て序と為す
歴聖深く叡信を垂れ給ひ、公卿武将より庶民に至るまで渇仰の誠を運ひ、其信仰の凝る所、画棟懲彩梁空に聳へて輪奐の美碧映発し、香雲花雨四時絶ゆることなく、名徳高僧法燈相継て祖風を宣揚し、今に至りて猶天下の帰信を鍾め、霊輝彌々宇内に光被するものあるを見る、茲を以て霊宝珍什庫蔵に充溢するもの枚挙に遑あらす、即ち大師請来の珍宝を主とし、高僧巨匠の手に成れる仏像、仏画、仏器、写経、及ひ詔勅、官符、図書、刀剣の類に至るまて悉く皆其法儀に於て最も尊重すべく、歴史に於て最も信頼すペく、美術に於て最も鑑賞すべきものにして、現に国宝に指定せられたるもの百数十点の多きに達せり、就中夫の阿弥陀聖衆来迎図の如き基信念の発露する所、紳韻瓢緲(ひょうびょう)とし浄刹に遊ふの感あらしめ、赤不動尊画像の如き、心機感発する所、威厳人を壓(あつ)するの概あり、識者観て以て我国仏教に於ける顕密二数の代表仏画として天下の絶品と推称するもの洵にに所以なきに非さるなり
今や我山新に霊宝館建設の功成るを告げ、満山の秘珍霊宝を一堂の下に収容して、之れか、永世保存の策を講し、併せて舘を公開して広く世人の拝観に供するに当り、更に満山所蔵の宝物中に就き粋を抜き英を集め、国宝に指定せられたるもの百余点、及ひ堂塔伽藍の主要なるもの数ケ所を選択し、之を撮影玻璃版に附し以て世に公にし、題して高野山霊宝帖といふ、載する所のものは、悉く宗教的感激の発露に非れば、甚深なる信仰の結晶のみ、之を以て世の尋常美術工藝品と同一の看を為すべからざるなり、期する所は秘密内證の境界を仰き、曼荼海会の風光に接触し、祖徳を発揚し、信根を培養せんとするにあるのみ、若し夫由りて以て東洋美術の粋を研め、史上興亡の跡を尋ぬる資に供せは、文化と世道とに於て、豈少補なしといはむや、之を以て序と為す
大正十年三月霊宝館開館の日