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高野山の浄土教美術

第18回大宝蔵展-「高野山の浄土教美術」展示リスト

平成9年7月20日~9月30日

御挨拶

高野山における浄土教は平安時代末から鎌倉時代にかけての末法思想を背景に阿弥陀信仰、極楽浄土信仰が弘法大師信仰、高野山浄土信仰と結びついていちじるしく盛んになった。
「南無阿弥陀仏」の称名念仏により極楽往生を願う多数の欣求者が登山し、山上の浄土教は隆盛をみるに至った。
それにともなって阿弥陀如来像や阿弥陀来迎図、極楽浄土図などの浄土教美術が信仰の対象として数多く製作されるとともに多くの質の高い作品が施入や蒐集などで山上に持ち込まれた。
このうち聖衆来迎図三幅は浄土教の主唱者である恵心僧都(源信)が叡山においてまのあたりに感得されたところを画かれたといわれ、阿弥陀如来が聖衆をしたがえ来迎されるさまを画面いっぱいに描き、雄大な構図と荘厳な描写は平安絵画、来迎図の名作である。

この来迎図はもと比叡山安楽谷勅封蔵に伝えられていたが、元亀二年(一五七一)の信長焼打ちの前に持ち出され、その後文禄三年(一五九四)に高野山に入ったもので、宗教芸術として高く評価される。

聖衆来迎図を主題としたこの図録にはエックス線写真、赤外線写真を掲載した。
エックス線は波長が短い電磁波で透過カが強く、普通の光線を通さない物質でも透過して写真の乾板に感光するものであり、赤外線は波長が可視光線より長く、目には見えないが熱作用と透過力が強く、肉眼では見えないものの形、物質の違いを写し出すことができる。この両光線の特性を利用して聖衆来迎図の被写体の内部形態像や色料の性質(顔料、染料の別)をフィルム上に結像させ、通常の可視光線では得られない多くの情報が収集できる。
これらの科学的な写真の掲載により、聖衆来迎図未知の分野の研究が進展することを願ってやみません。

平成十年三月二十一日 高野山霊宝舘舘長 山口耕榮
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