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高野山の如来像

第17回大宝蔵展-「高野山の如来像」展示リスト

平成8年7月20日~9月23日

御挨拶

高野山大宝蔵展・霊宝館の特別展として平成五年「高野山の明王像」六年「天部の諸尊」七年「高野山の菩薩像」の展示を行って多数の方々の拝観をいただきましたことありがたく存じています。

このたびの特別展で「高野山の如来像」を開催することになりました。

如来(タターガタ)とは如(真実・真如)から来生したものという意味で、本来の仏、すでに覚りを開いたもの(覚者)とします。

仏教は釈迦を教祖とする宗教であり、釈迦は人の子として生れ、歴史上に実在し、覚りを開き仏となられたその姿が如来とされます。小乗仏教ではもっぱら釈迦を崇拝することになりますが、大衆仏教では教義が多様に展開して多くの如来を考えだされました。薬師、大日、毘盧遮那、弥勒、阿弥陀如来などであって、これらの如来はそれぞれ仏国土(浄土)をもち、浄土の主尊とされています。それらの浄土には多くの菩薩が如来に従って修行されていて、如来が礼拝の対象として祀られる場合にはその如来に従う補処の菩薩として釈迦如来には文殊、普賢菩薩。
薬師如来は日光、月光菩薩又は十二神将。阿弥陀如来には勢至、観音菩薩と三尊像等とすることがあります。
密教の如来像は胎蔵界曼荼羅を構成する胎蔵界五仏(胎蔵界大日、宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音如来)と金剛界曼荼羅を構成する金剛界五仏(金剛界大日、阿□、宝生、無量寿、不空成就如来)の五智如来によって代表されます。

如来の形像は裸身に衲衣をつけた僧形で、装身具はつけず、螺髪であるのが普通なのですが大日如来だけは別で宝冠をつけ胸、腕、手首、耳などに飾りやきらびやかな衣装をつけた菩薩の姿となっています。
これは如来の中心的な存在であることを示すための姿であるとされています。これらの如来は深遠で難解な経典や儀軌などから如来像の造像、描写には美感覚の高さ、技法の熟達により美術的にも極めて価値の高いものがあります。
この特別展で密教美術の精華を通して高野山に保存されている如来像の真随を心ゆくまでご覧いただき、関心と理解をさらに深めていただければ幸いです。

平成八年七月二十日 高野山霊宝飯館長 山口 耕榮
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