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平安時代の名宝

第13回大宝蔵展-「平安時代の名宝」-展示リスト

平成4年7月10日~8月30日

挨拶

本年は承和九年(八四二)七月十五日に崩御なされました嵯峨天皇の千百五十年正当の御忌であります。七月十四日より三日間、嵯峨天皇千百五十年御忌法会が執り行われます。

嵯峨天皇は桓武天皇の第二皇子として延暦五年(七八六)九月七日御降誕。
同十八年(七九九)二月、十四歳で御元服。
大同元年(八〇六)五月、二十一歳で皇太弟となられ、同四年(八〇九)四月十三日、二十四歳で第五十二代の天位をつがれ、清新な国家の体制と弘仁文化の形成をなされまして、承和九年(八四二)七月十五日、五十七歳で崩御なさいました。

嵯峨天皇と弘法大師との御縁は深く、宗教、信仰にとどまらず書道、芸術、漢詩等文芸の面にも御親交がありました。

天皇のご叡慮によりまして、弘仁七年(八一六)に修禅の道場として高野山を下賜されて以来、大師は八葉の蓮華が開いた形のこの山を七里四方結界されまして、鎮護国家、済世利民のための道場を、また多くの修行者のために修禅の院宇を建立したいという心願により、次第に堂塔・伽藍や寺院を構えられました。

時代とともに進展して、朝廷をはじめ貴族、武将、一般庶民の信仰もあつく、人々の心のよりどころとして、また魂の安住の所として、内には師資相承して法灯の伝統を受けついでまいりました。このようにして幾多の変遷や荒廃を繰りかえしつつも、今日の高野山があるのは嵯峨天皇と弘法大師のお陰であります。
心から報恩の誠を捧げたいと存じます。

嵯峨天皇千百五十年の御忌にあたり、高野山霊宝館に特別展覧会「平安時代の名宝展」を開催し、秘蔵の宝物を公開することとなりました。この展覧会が嵯峨天皇と弘法大師との深いご関係や、その時代の宗教を背景にした華やかな文化を再認識していただく機会となれば幸いに存じます。

平成四年七月十日
高野山真言宗管長 総本山金剛峯寺座主 竹内 崇峯
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