第23回大宝蔵展「高野山の信仰と子院の秘宝」展示リスト
平成14年7月20日~9月30日
ごあいさつ
平成13年度には、弘法大師空海が、高野山金剛峯寺開創に当り、その密教教理に基づき堂塔伽藍を建立した壇上と、大師御人定の御廟を中心に膨大な供養塔群の祀られた奥の院の両壇に関する文化財を展示紹介致しました。
本年は、壇上伽藍を囲み発展いたしました塔頭寺院の文化財を展示いたします。
この塔頭寺院は、壇上を中心に中院をはじめ、東西南北に僧達の住する住坊が先ず発生します。さらにこれら塔頭寺院は増加し、西院・南谷・千手院・小田原・往生院の五院谷に展開して行きます。
その数は、江戸時代初期正保3年(1646)の「御公儀上一山図」には、一千八百軒とあり、この頃がその数も最も多かったようです。また塔頭寺院も、学侶坊・行人坊・聖坊と三派に分かれています。
明治維新となり、この三派も廃され皆平等の立場となり、その数も今では130余軒となっています。しかし、その各院には、それぞれの由緒があり、長い歴史があり多くのすぐれた文化財、膨大な文献資料も蔵しております。
その展示品の中でも国宝阿弥陀聖衆来迎図(有志八幡講)、今回補修が終りました重要文化財五大力菩薩像(普腎院)等が特に注目されます。
これだけの優れた文化財が展示され、皆様のお目にふれる機会は今後困難と思います。
この機会にぜひとも来館し拝観されることをおすすめする次第です。
本年は、壇上伽藍を囲み発展いたしました塔頭寺院の文化財を展示いたします。
この塔頭寺院は、壇上を中心に中院をはじめ、東西南北に僧達の住する住坊が先ず発生します。さらにこれら塔頭寺院は増加し、西院・南谷・千手院・小田原・往生院の五院谷に展開して行きます。
その数は、江戸時代初期正保3年(1646)の「御公儀上一山図」には、一千八百軒とあり、この頃がその数も最も多かったようです。また塔頭寺院も、学侶坊・行人坊・聖坊と三派に分かれています。
明治維新となり、この三派も廃され皆平等の立場となり、その数も今では130余軒となっています。しかし、その各院には、それぞれの由緒があり、長い歴史があり多くのすぐれた文化財、膨大な文献資料も蔵しております。
その展示品の中でも国宝阿弥陀聖衆来迎図(有志八幡講)、今回補修が終りました重要文化財五大力菩薩像(普腎院)等が特に注目されます。
これだけの優れた文化財が展示され、皆様のお目にふれる機会は今後困難と思います。
この機会にぜひとも来館し拝観されることをおすすめする次第です。
平成14年7月20日 高野山霊宝館長 長澤 光倫
総説『高野山の信仰と子院の秘宝にみる信仰背景』主任学芸員 井筒信隆 先生
第一章 弘法大師信仰と高野山、第二章 高野山子院の仏像、第三章 高野山子院の仏画、第四章 高野山子院の秘宝書跡、第五章 高野山子院の法具
第一章 弘法大師信仰と高野山、第二章 高野山子院の仏像、第三章 高野山子院の仏画、第四章 高野山子院の秘宝書跡、第五章 高野山子院の法具