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高野山文化財年表 昭和50年〜昭和57年
- 1975年 昭和50年
- 3月5日
修理中の重文・彫刻地蔵菩薩立像成蓮院胎内納入品発見(遺骨、遺髪、遺爪、遺歯は元通り納入し、寄進者等は表装する)。
- 5月19日
重文・彫刻地蔵菩薩立像成蓮院修復完成。
- 6月12日付
天野社舞楽装束類が重文指定となる。
- 6月16日
宝寿院文書整理を行う。
- 7月16日〜22日
伽藍、高野山諸堂の内部仏像等の現状調査を行う。西塔・孔雀堂・山王院・不動堂・准胝堂・愛染堂・大会堂・金堂・大塔の収蔵品を確認。
- 10月8日〜昭和51年6月2日
国宝・絵画仏涅槃図の修復。完成は昭和53年11月4日。
- 12月16日
第1回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館・美術院にて開催。3ヶ年継続事業。
- 1976年 昭和51年
- 1月24日
奥の院埋蔵文化財調査報告書「高野山奥の院の地宝」出版。A五判250頁700部限定。
- 2月26日
聖教古文書館設立案、文化財保存会理事会事業計画に提出。本事業にむけ「聖教古文書調査会」の設立が望まれる。未指定・絵画釈迦誕生図が修復完了し収蔵。
- 4月〜
重文・大日如来、釈迦、阿弥陀坐像が保存修理される。
- 5月7日
第2回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 5月27日
「聖教古文書調査会」を設立するに伴い、委員として顧問に堀田真快、佐和隆研、調査委員に田村隆昌各師が承認される。
- 7月26日
「高野山聖教古文書調査会」を発足して、11ヶ年をかけた山内寺院に伝わる古文書類の悉皆調査が開始される。
- 9月14日〜17日
聖教古文書調査普門院。県調査団と山の調査団との合同で行う。高野山内の多年にわたる寺院聖教の調査はここに始まる。
- 9月18日
第3回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 10月26日〜28日
聖教古文書調査安養院。
- 10月28日
聖教古文書調査龍泉院。
- 11月17日〜昭和52年12月14日
重文・彫刻大日、阿弥陀、釈迦如来像、台座(谷上大日堂旧在)修復。
- 12月2日〜9日
聖教古文書調査釈迦文院。
- 12月3日
「高野山霊宝館収蔵奥院石造遺物資料」高野山文化財保存会編、昭和51年極月吉日発行。B5判160頁百部印刷。奥院石塔石地蔵等の調査報告書。
- 1977年 昭和52年
- 5月10日〜12日
聖教古文書調査打合会を金剛峯寺奥殿にて開催。
勧学院調査。
- 6月11日付
重文・考古高野山奥之院出土品(灯籠堂とその周辺出土遺物・御廟とその周辺出土遺物・比丘尼法薬埋納品)一括金剛峯寺が指定される。
- 7月14日付
重文・史跡高野山町石220基高野町等、重文・史跡金剛峯寺境内金剛峯寺が指定される。
- 8月下旬〜9月
奥の院第二灯籠堂建設予定地試掘。8月27日四耳白磁壺出土。
- 10月17日〜20日、31日〜11月2日
聖教古文書調査、北室院。
- 10月18日〜19日
勧学院宝庫にて文書整理を行う。
- 11月15日〜18日
聖教古文書調査、第2回宝寿院。県調査団と合同で行う。
- 12月5日〜9日
聖教古文書調査、第3回宝寿院。
- 12月13日〜16日
聖教古文書調査、三宝院。
- 12月14日〜15日
重文・彫刻、大日如来、阿弥陀、釈迦像(谷上大日堂旧在)修理完了。
- 12月17日〜22日
聖教古文書調査、宝城院。
- 12月27日
奥院新灯籠堂敷地より新たに中国陶器3点、灰釉陶器1点、片口小壷1点、長胴壺1点、合計7点出土。
- 1978年 昭和53年
- 3月1日
第4回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 3月16日
高野山聖教古文書調査会会議。於和歌山市紀の国会館。県文化財課は、本年の高野山古文書調査参加は休止とする。
- 4月11日
金剛峯寺秀衡経蔵を調査。
- 5月1日
第5回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 5月2日
奥院経蔵床下より出土の骨壺新たに八点収蔵。
- 5月11日
第6回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 5月21日
第7回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 5月24日
奥の院出土陶磁器等107点修理。
- 6月1日
第8回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 6月9日
第9回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 6月11日
第10回、国宝・仏涅槃図修理委員会、京都国立博物館にて開催。
- 6月12日
本山より旧秀衡経蔵文書、山内古地図等を搬入し燻蒸する。
- 7月14日
東京国立博物館より昭和23年より30年間貸出中であった国宝・聾瞽指帰、矜羯羅・制多伽童子像返還。新たに国宝・色紙法華経貸出。
- 8月29日〜12月20日
重文・書跡日本法華験記、往生瑞応伝、決定往生集以上3点を修理。
- 10月16日
聖教古文書調査、西門院。
- 11月8日〜12月3日
国宝・仏涅槃図修理完成(4日)し、京都国立博物館「涅槃図名作展」と題して2週間展示。
- 11月27日
聖教古文書調査、地蔵院。平安時代写経二点、鎌倉一点その他有り。昭和63年4月18日焼失。
- 12月4日〜7日
聖教古文書調査、不動院。
- 12月15日
奥院灯籠堂地中より鎌倉時代の骨壺一個出土。
- 1979年 昭和54年
- 5月2日
霊宝館で高野山旧寺領安楽川庄、美福門院の旧跡尼ヶ芝(尼岡ともいい門院の寺の址)、および安楽川東方の「高野」などを調査。
- 5月26日
高野山旧女人道を霊宝館で調査。
- 6月5日
比丘尼法薬埋納経修理完了に伴い収蔵。
- 9月10日〜14日
聖教古文書調査、総持院。
- 10月9日・11日
聖教古文書調査、天徳院。
- 11月5日〜14日
聖教古文書調査、高室院。
- 11月23日
8時15分浩宮殿下学習院学友約30名とともに御来館。
- 1980年 昭和55年
- 3月13日
『高野山障壁画』を出版。
- 3月29日
霊宝館独自で町石道を調査。
- 5月29日
東京博物館構内にある文化庁宝物修理所で修理中であった奥院出土法薬尼経筒、納骨壺類の一部分の修理が成り、ダンボール函16個分が返納。
- 6月2日
昭和50年10月修理に出した国宝・絵画仏涅槃図返還。
- 11月4日〜12月6日
聖教古文書調査宝亀院。
- 1981年 昭和56年
- 2月9日
聖教古文書調査、常喜院。
- 4月6日〜8日
有田郡清水町の寺院・堂など約20ヶ寺を調査。11世紀12世紀の仏像が数点。書跡では平安末の大般若6百巻、平安末の大般若一組、「紺紙金泥第一義法勝経」巻子一巻などを発見。
- 7月〜昭和61年10月16日
重文・大門が6ヶ年に亘継続事業として解体修理を行う。
- 9月1日
円通寺文化財調査。
- 9月5日
伽藍不動堂の本尊不動尊坐像を大宝蔵に収蔵。
- 9月7日〜10日
聖教古文書調査、西室院。
- 9月16日〜19日
聖教古文書調査、本覚院。
- 10月5日〜11日
宝寿院文書調査。
- 10月13日〜15日
文化庁重要社寺文化財綜合調査を行う。調査員:山本信吉(書跡)、松島健(彫刻)、足立(書跡)、中村康(彫刻)、大山仁快(書跡)、広井雄一(工芸)、渡辺明義(絵画)、立会人:霊宝館長山本智教、文化財理事和田有玄。調査寺院:金剛三昧院、勧学院、宝亀院、桜池院、親王院、高大図書館、遍照光院、宝寿院、釈迦文院、大明王院、普賢院、地蔵院、北室院、西門院、霊宝館。
- 11月9日
聖教古文書調査、持明院。
- 11月16日
聖教古文書調査、恵光院。
- 11月27日
聖教古文書調査、大明王院。
- 12月11日〜16日
聖教古文書調査、遍照光院。
- 1982年 昭和57年
- 2月1日〜6月17日
文化庁へ名称変更、指定調査の為、高麗国軍旗(新名称、花鳥刺繍打敷)、細字金光明最勝王経貸出。
- 3月17日
高野山大門解体修理着工式。
- 6月5日付
重文・書跡細字金光明最勝王経二巻金剛峯寺、重文・書跡大毘盧遮那成仏経七巻・金剛頂瑜伽経三巻・蘇悉地羯羅経三巻(学校法人高野山学園)が重文指定となる(4月5日発表)。
- 6月5日付
重文・工芸「花文刺繍打敷」一枚全光院の指定名称が変更された。
- 6月17日
文化庁より通知。全光院、重文・「高麗軍旗」を名称変更して「花文刺繍打敷」李朝時代とする。
- 7月7日
文化庁において上田墨縄堂の手で修理中の奥院出土品(法薬尼経筒その他骨壺類)のうち残りの分桐箱23箱が到着。
- 7月24日
午前11時、文仁親王殿下、学習院高等科の夏季研修のため御学友と御来館。
- 8月31日
高野山文化財保存会理事会で霊宝館新館建設を決定。「真言密教と弘法大師展」へ出品の件を議す。
- 11月4日〜27日
宝寿院古文書調査。
- 11月14日
西南院より重文・覚禅抄、五部心観収蔵。
- 12月20日〜24日
聖教古文書調査、西南院。
- 12月30日
共同通信社の展覧会「真言密教と弘法大師展」が始まる。
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