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高野山 霊宝館(れいほうかん)

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トップページ > 高野山と文化財 > 文化財年表 > 昭和30年〜昭和49年

高野山と文化財

高野山文化財年表 昭和30年〜昭和49年

  • 1955年 昭和30年
    • 2月2日付
      重文・書跡高麗版一切経6027帖(金剛峯寺)が指定される。
      国宝・彫刻八大童子立像八躯金剛峯寺が新国宝指定となる。旧国宝指定日は明治30年12月28日。
  • 1956年 昭和31年
    • 6月28日付
      重文・書跡宋版一切経3750帖(金剛峯寺)が指定される。
  • 1957年 昭和32年
    • この年から毎日新聞と文化財保存会が主体となり、5ヶ年にわたる高野山文化財綜合調査が開始された。
    • 2月8日付
      重文・絵画十巻抄、十巻円通寺が重文指定される。
    • 2月19日付
      重文・書跡往生瑞応伝一帖宝寿院、重文・書跡決定往生集二帖宝寿院、重文・書跡大毘盧遮那経巻第一(白朱両点本)・大毘盧遮那経供養次第法疏巻第二八帖竜光院、重文・書跡日本法華験記上一帖宝寿院、重文・書跡梵本大般涅槃経断簡一巻宝寿院が指定される。
    • 10月2日付
      財団法人、高野山文化財保存会が設立され、高野山霊宝館がその管轄下におかれた(申請は同年7月22日付)。
      文化財保護のため一山の総意を結集して出願した財団法人高野山文化財保存会が設立認可され、文化財保護委員会から管理団体に指定された。一山文化財の保護に万全を期すべく多角的な保護対策が立てられ、実行の第一歩を踏み出した。
    • 設立と同時に管理品目に指定されたものは次の通り、155件18430点の多きに達し、名実ともに日本の文化財を代表する一大宝庫となった。
      • 国宝:絵画8件21点、彫刻1件8点、工芸2件2点、書跡8件4554点、建造物2件。
      • 重文:絵画31件56点、彫刻50件78点、工芸26件38点、書跡27件13671点、考古2件2点、建造物3件。
    • 10月10日
      収蔵庫(大宝蔵)を設立すべく工事に着手。地鎮祭挙行(四ヶ年計画)。
      ※昭和32年頃から大宝蔵建設事業が始まる。昭和40年、高野山開創壱千百五十年記念大法会を執行するに当たり、その記念事業として一山の指定物件を一堂に収蔵する大宝蔵(収蔵庫)の建設及び指定建造物の防災施設などが取りあげられ、先づ霊宝館の裏に4ヶ年計画、総工費7千万円、鉄筋コンクリート銅板葺、高床一階(一部二階)切妻様式延380坪の建築に着手し、36年5月に完成、「高野山大宝蔵」と命名された。
    • 12月〜昭和36年3月
      高野山大宝蔵建設事業。工法は鉄筋コンクリート、銅板葺、耐震耐火。39882坪。
  • 1958年 昭和33年
    • 大宝蔵の完成に先だち毎日新聞社及び当保存会が主体となって保護委員会の協力のもとに専門家を総動員、向こう5ヶ年に亘って一山の文化財の綜合調査を実施、各分野にて続々と重要文化財が発見され、調査中に指定を受けたものも数多く、また将来重文指定の候補にあげられたものは80余件にのぼり、明治29年につぐ大正6年以来の調査についで50年ぶりで多大の成果をあげ、収蔵庫建設を一層意義あらしめた。
      調査は37年に終了したが、調査報告書は後日の発表に待つこととして、ここに永年にわたり調査に当たった保護委員会の技官及び関係者の方々に深甚の謝意を表する。左に調査の主査を列記しておく。
      • 絵画班:松下隆章、浜田隆、鈴木進。
      • 書跡班:田山信郎。
      • 工芸班:尾崎元春、本間順治。
      • 考古班:保坂三郎、尾崎元春。
      • 彫刻班:田辺三郎助、倉田文作。
      • 建築班:藤島亥治郎。
      • 記念物:赤松俊秀。
    • この年国宝「宝簡集」「続宝簡集」「又続宝簡集」が継続修理され(昭和33年〜38年)、国宝「五大力中尊金剛吼画像」も補修された。
    • 2月8日付
      重文・絵画尊勝曼荼羅図一幅宝寿院、重文・絵画伝熊野曼荼羅図一幅龍泉院、重文・絵画如来像(伝薬師如来像)一幅金剛峯寺、重文・絵画両頭愛染曼荼羅図一幅金剛峯寺、重文・絵画六字尊像一幅宝寿院、国宝・書跡不空羂索神変真言経十八巻三宝院が指定される。
    • 4月1日付
      町石、豊臣家墓所、禅尼上智碑、奥の院の大杉林などが、従来と同様に和歌山県指定文化財として再指定。
    • 4月1日付
      県指定・工芸毛抜太刀一口松本泰三郎(北室院)、県指定・史跡高麗陣敵味方戦死者供養碑正智院、県指定・史跡禅尼上智碑一基金剛峯寺、県指定・史跡豊臣家墓所金剛峯寺、県指定・天然記念物奥の院大杉林金剛峯寺、県指定・天然記念物高野槇の純林金剛峯寺などが指定される。
    • 4月10日〜23日
      大阪市立美術館において、高野山綜合調査の結果、新しく発見された文化財の一部が公開された。
    • 9月16日〜10月29日
      第1回、高野山文化財を総合調査を行う。調査員は文化財保護委員会技官、文化財研究所、高野山大学等など25名。
  • 1959年 昭和34年
    • 1月8日付
      県指定・史跡崇源夫人五輪石塔一基蓮花院が指定される。
    • 4月〜
      重文・阿弥陀浄土曼荼羅図西禅院、重文・大元帥明王像西南院が保存修理される。
    • 4月23日付
      奥の院奥の大栃が県指定となる。
    • 6月27日付
      重文・絵画覚禅鈔五十巻(五十二巻)西南院、重文・絵画恵果阿闍梨像一幅西生院、重文・絵画武田信玄像一幅成慶院、重文・工芸花鳥文磬一面清浄心院、重文・工芸紙(布)胎花蝶蒔絵念珠箱一合金剛峯寺が指定される。
    • 6月27日付
      国宝・書跡不空羂索神変真言経十八巻三宝院が新国宝指定される。旧国宝指定日は昭和33年2月8日。
    • 7月3日〜
      第2回、高野山文化財を総合調査を行う。
    • 9月20日〜10月4日
      藤田美術館で第2回「高野山秘宝展」を開催。
    • 12月18日付
      重文・絵画浅井久政像・浅井長政像・浅井長政夫人像三幅持明院、重文・絵画一字金輪曼荼羅図一幅遍照光院、重文・絵画菊図・菊図賛(慶仲周賀等十僧筆)二幅遍照光院、重文・書跡和泉往来一巻西南院、重文・書跡西南院文書十一巻西南院、重文・書跡文鏡秘府論六帖三宝院、重文・彫刻阿弥陀如来立像(快慶作)一躯遍照光院、重文・彫刻釈迦如来坐像一躯円通寺、重文・彫刻大日如来像(元、伽藍西塔安置)一躯金剛峯寺、重文・彫刻大日如来坐像一躯西南院がそれぞれ指定される。
    • 12月18日付
      重文・絵画「武田信玄像」一幅成慶院に指定名称が変更された。
  • 1960年 昭和35年
    • 新指定重文「阿弥陀浄土曼荼羅図」(西禅院蔵)、重文「覚禅抄五十二巻」(西南院蔵)、重文「大元師明王画像」(西南院)、重文「武田信玄画像」(成慶院蔵)、国宝「五大力中尊竜王吼画像」(金剛峯寺)の修理が完了した。
      この年から4ヶ年継続事業として特別防災工事を施工。嶽弁天山麓を堰提して2ヶ所に貯水池を設け、山内主要地27ヶ所に地上消火栓を特設した。国宝「不動堂」、重文「徳川霊台」、重文「奥院経蔵」等は特に防火水幕設備が施された。
    • 4月〜
      重文・恵果阿闍梨像西生院、重文・武田信玄像成慶院、国宝・竜王吼菩薩像有志八幡講十八箇院、重文・紙胎花鳥蒔絵念珠箱、重文・覚禅鈔西南院等が保存修理される。
    • 7月7日〜11日
      第3回、高野山文化財を総合調査を行う。
    • 9月12日
      重文・薬師堂、位牌堂(徳川家霊台)修復決定。
    • 10月1日〜16日
      藤田美術館で第3回「高野山秘宝展」を開催。
  • 1961年 昭和36年
    • 重文・紙胎花蝶蒔絵念珠筥重、重文・恵果阿闍梨画像西生院蔵、重文釈迦如来像円通寺、重文・大日如来坐像西南院蔵、重文・大日如来坐像(西塔)、重文・大日如来坐像(勧学院蔵)等多数の文化財が修理完了。またこの年重文「徳川霊台」の解体修理が3ヶ年継続で行われた。この解体修理で銅製鎮坦具が基礎工事中に発見された。
    • 1月28日
      薬師堂、位牌堂修理起工。
    • 3月
      大宝蔵竣工。境内660坪、鉄筋コンクリート板葺高床切妻造一階建、建坪282坪、一部二階建にして388坪あり、総工費7800万円。収蔵庫、燻蒸室、調査曝涼室、事務室、予備室からなり、収蔵庫内は空洞コンクリートブロック(JISA5416)の防湿二重壁からなる。
    • 3月23日
      (財)高野山文化財保存会、国宝、重文の管理団体の指定を受ける。
    • 4月〜
      重文・大日如来坐像(勧学院旧在)、重文・釈迦如来坐像円通寺、重文・大日如来坐像(西塔)、重文・大日如来坐像西南院が保存修理される。
    • 5月
      当時、その規模や設備から日本一と謳われた「高野山大宝蔵」が完成。竣工は三月。
    • 6月1日〜7日
      第4回、高野山文化財綜合調査実施。
    • 9月5日
      高野山秘宝展を東京松坂屋で開催。
    • 9月16日
      台風18号。各所大被害。風速45メートル(第二室戸台風)。
    • 10月3日〜8日
      高野山開創千百五十年記念大法会を奉讃して静岡松坂屋で「高野山秘宝展」を開催。
    • 12月2日〜
      重文・大日如来坐像(勧学院・西塔・西南院)三躯、釈迦如来坐像円通寺、修復。
    • 12月15日
      高野山特別防災施設工事着工。
    • 12月24日
      奥の院灯篭堂東南隅にて高さ九寸の青銅金仏立像を工事中発見す。
  • 1962年 昭和37年
    • 一部腐朽したため国宝「不動堂」の補修が行われた。
    • 3月20日
      高野山文化財保存会により高野山特別防災施設起工。
    • 4月〜
      重文・如来像金剛峯寺、重文・西南院文書西南院が保存修理される。
    • 6月21日付
      重文・絵画弘法大師・丹生・高野明神像(問答講本尊)一幅金剛峯寺、重文・絵画弘法大師像一幅龍泉院、重文・絵画弁才天図一幅宝城院、重文・工芸華形大壇・箱形礼盤・付属磬架一基金剛峯寺、重文・工芸金剛盤一面巴陵院、重文・工芸宝相華文線刻蓮華形磬一面赤松院、重文・書跡漢書(周勃伝残闕紙背六種火壇図)一巻大明王院、重文・彫刻不動明王立像一躯釈迦文院がそれぞれ指定される。
    • 6月21日付
      国宝・書跡「紫紙金字金光明最勝王経」十巻竜光院の指定名称が変更された。
    • 7月1日〜10日
      第5回、高野山文化財綜合調査を行う。
    • 7月31日
      重文・徳川家霊台(薬師堂・位牌堂)解体修理完了。
    • 12月1日
      午後4時過ぎ、常喜院出火。浴場その他焼失し、6時鎮火。
  • 1963年 昭和38年
    • この年、重文「奥院経蔵」の補修が行われた。
    • 2月8日
      重文・絵画阿弥陀如来浄土曼荼羅図一幅西禅院が指定される。
    • 3月19日〜24日
      開創壱千百五十年記念大法会を奉賛して本山、毎日新聞社、当保存会共催、保護委員会後援のもとに大阪高島屋にて「文化財綜合調査発表高野山秘宝特別展」を開催。
    • 4月11日
      午前八時過、光台院出火。本堂、門、客殿の一部を残して焼失。
    • 5月7日
      大宝蔵落慶。大宝蔵創設、徳川家霊台修復完成し、落慶式を大師教会本部大講堂において挙行。
    • 7月1日付
      金剛峯寺書跡聾瞽指帰二巻が国宝に指定される。旧国宝指定日は大正15年4月19日。
    • 7月30日
      県指定・建造物常喜院校倉一棟常喜院、県指定・建造物不動院書院一棟不動院が指定される。
    • 8月1日
      高野山文化財の永久保存を期して指定寄付認可。
    • 8月1日
      伽藍不動堂復元、入仏式挙行。防災完成。
    • 9月21日・22日
      秩父宮妃勢津子殿下御参観。
    • 10月
      奥の院経蔵より重文・高麗版一切経収蔵。
  • 1964年 昭和39年
    • この年、1億円を投じ、4ヶ年計画のもとに本山関係重要建物をはじめ山内主要文化財所蔵寺院に警火装置を設置。さきに完成した消火装置と相俟って一応一山の防火態勢がととのうに至ったが、これの維持管理は今後の課題とされている。
      重文「竜猛菩薩立像」(泰雲院蔵)、同「不動明王立像」(釈迦文院)、同「阿弥陀如来画像」(成福院)、「弘法大師画像」等が補修された。前年春奥ノ院近衛公墓地付近から発掘された金銅仏、同光背、同経筒台を大宝蔵に仮収蔵する。
    • 1月
      御影堂宝庫より宋版一切経を収蔵。
    • 1月28日付
      重文・工芸華形大壇金剛峯寺の内、箱形礼盤・付属磬架一基などが追加指定される。
    • 1月28日付
      重文・絵画「狩場明神像」一幅竜光院、重文・絵画「不動明王二童子像(赤不動)」一幅明王院、重文・絵画「文殊菩薩像」一禎宝寿院、重文・絵画「薬師十二神将像」一幀桜池院などの指定名称が変更された。
    • 4月〜
      重文・阿弥陀如来像成福院、重文・龍猛菩薩立像泰雲院、重文・不動明王立像釈迦文院が保存修理される。
    • 5月23日〜6月7日
      「高野山霊宝展」開催。開創壱千百五十年記念大法会を奉賛して本山、毎日新聞社、当保存会共催、保護委員会後援のもとに東京ステーションビルにて「高野山霊宝展」を開催。
    • 5月26日付
      金剛峯寺彫刻諸尊仏龕一基が新国宝に指定される。旧国宝指定日は明治41年1月10日。
    • 6月18日付
      国宝・書跡「宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集」298巻15冊金剛峯寺の指定名称が変更された。
    • 11月
      重文・問答講本尊、並びに国宝・中尊寺経315筺を金剛峯寺表宝庫より収蔵。
    • 12月18日
      霊宝館火災報知器取付工事着手。
  • 1965年 昭和40年
    • 霊宝館保管中の重文「四天王像」、同「成身会八葉蒔絵厨子」、同「胎蔵界板彫曼荼羅、金剛界蒔絵箱入」、国宝「沢千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃」=以上本山所蔵=の外、「佐竹義重霊屋」(清浄心院管理)が補修された。
    • 4月1日〜
      高野山開創一一五〇年記念大法会開催。
    • 4月14日
      大宝蔵落慶。午後一時金堂に於いて大宝蔵落慶報告法要厳修。
    • 4月14日付
      県指定・絵画瓜・筍図二幅宝寿院、県指定・絵画騎獅文殊菩薩像一幅桜池院、県指定・絵画弘法大師像一幅無量光院、県指定・絵画金剛薩た像一幅宝寿院、県指定・絵画山水図(餐水喫霞図)一幅金剛峯寺(霊宝館)、県指定・絵画山水図襖二面光台院、県指定・絵画釈迦三尊像三幅西南院、県指定・絵画真言八祖像八幅西南院、県指定・絵画仏涅槃図一幅金剛三昧院、県指定・絵画不動明王二童子像三幅遍照光院、県指定・絵画不動明王二童子像一幅宝城院、県指定・絵画理趣経十八会曼荼羅図一幅天徳院、県指定・建造物五輪塔四基西南院、県指定・建造物金剛峯寺(大主殿・奥書院・経蔵・鐘楼・真然堂・護摩堂・山門・会下門・かご塀)九棟金剛峯寺、県指定・建造物多層塔一基遍照光院、重文・工芸花鳥文磬一面親王院、県指定・工芸菊花牡丹文透彫箱一合金剛峯寺、県指定・工芸五鈷杵一握親王院、県指定・工芸五鈷鈴一口親王院、県指定・工芸金剛盤二面親王院、県指定・工芸銅磬一面普賢院、県指定・工芸白銅素文磬一面蓮華定院、県指定・工芸版木製活字二八三四個西禅院、県指定・工芸平錫杖一柄金剛峯寺、県指定・書跡眞田幸村書状(焼酎の文一巻天野詣りことわり状二通)一巻二通蓮華定院、県指定・書跡文禄三年連歌懐紙一帖安養院、重文・彫刻五智如来坐像(多宝塔安置)五躯金剛三昧院がそれぞれ指定される。
    • 5月29日付
      重文・建造物上杉謙信霊屋一棟清浄心院、重文・建造物金剛三昧院客殿及び台所一棟金剛三昧院、重文・建造物金剛三昧院四所明神社本殿一棟金剛三昧院、重文・建造物金剛峯寺山王院本殿(丹生明神社・高野明神社・総社)付属鳥居・透塀三棟金剛峯寺、重文・建造物金剛峯寺大門(付属棟札一枚)一棟金剛峯寺、重文・建造物佐竹義重霊屋一棟清浄心院、重文・建造物普賢院四脚門一棟普門院、重文・建造物松平秀康及び同母霊屋(付属宝篋印塔七)二棟蓮花院が指定される。
    • 8月31日
      重文・荒川経御影堂宝庫より収蔵。66筺、3575巻。
    • 11月12日
      重文・四天王像、美術院国宝修理所へ搬出荷造。
  • 1966年 昭和41年
    • 昭和37年6月、開創記念事業として祖廟周辺の荘厳化が取りあげられ、第一着手として起工した灯籠堂の基礎工事中に、また祖廟周辺に記念植樹中、御所芝整理工事中に貴重な納骨器、経筒が多数発掘され、保護委員会へこれら埋蔵文化財の綜合調査を依頼、6月11日から17日まで大宝蔵及び奥ノ院現場に於いて150余点の調査を実施、次の諸氏が分担された。
      調査委員長石田茂作氏(保護委員会委員)総括、石造関係蔵田蔵氏(奈良博物館長)、金工関係、小山富士夫氏(元文部技官)、陶器関係、矢沢邑一氏(奈良博技官)、写真、藤沢一夫氏(羯磨正信氏、巽三郎氏、県文化財専門委員)。実測、古賀直樹氏(県教育委員会主事)これら調査された埋蔵文化財中、祖廟近くで発掘された「法薬尼奉埋経筒」は約9百年前のものと判明、経筒、写経、ともに実に立派なもので、近く重要文化財に指定されるものと期待される。奥院御廟附近での第一次第二次発掘物は、7千余件に及びマスコミに報道され、世間の注目を集めた。
    • 1月10日付
      重文・絵画七髻文殊菩薩像一幅宝寿院が指定される。
    • 4月〜
      重文・山水屏風、重文・高麗国軍旗が保存修理される。
    • 4月15日
      重文・彫刻千手院観音堂不動明王立像修復完了。
    • 6月11日〜17日
      奥の院埋蔵文化財綜合調査実施。
    • 9月4日
      重文・高麗国軍旗修復完了。
    • 10月
      重文・奥ノ院「上杉謙信霊屋」(清浄心院所有)、重文「高麗国軍旗」(全光院蔵)〈収蔵済〉重文「山水図六曲屏風一双」(本山蔵)〈旧宝庫収蔵〉が修理された。
    • 12月9日付
      県指定・名勝宝善院庭園が指定される。
  • 1967年 昭和42年
    • 4月〜
      本年度重文・西南院文書四巻、不空羂索神変真言経十八巻が保存修理される。
    • 9月28日〜10月21日
      金剛峯寺古文書群(御影堂宝庫)を整理完結に付き、収蔵。
    • 11月27日
      重文・不動明王立像、元千手観音堂安置の光背を収蔵。
  • 1968年 昭和43年
    • 2月2日付
      重文・絵画「当麻曼荼羅縁起」一幅清浄心院、重文・工芸「孔雀文磬」一面蓮花院、重文・工芸「蓮華形柄香炉」一柄竜光院、重文・書跡「増壱阿含経巻第三十二」一巻金剛峯寺、重文・書跡「雑阿含経巻第三十九」一巻金剛峯寺、重文・書跡「大毘盧遮那経巻第一」一巻竜光院、重文・彫刻「阿弥陀如来立像」一躯清浄心院、重文・彫刻「地蔵菩薩立像」一躯成蓮院、重文・彫刻「不動明王坐像」一躯親王院など指定名称が変更された。
    • 4月16日
      県指定・史跡武田信玄・武田勝頼墓地一件桜池院が指定される。
    • 4月25日
      重文・工芸華形大壇一基金剛峯寺が指定される。
    • 5月14日
      小宝蔵から大宝蔵に移した文化財を整理する。
    • 6月27日付
      県指定・工芸五鈷鈴一口巴陵院が指定される。
    • 7月19日
      三笠宮殿下、同妃殿下来館。
    • 12月24日
      重文・十巻抄円通寺、高野山大学図書館より大宝蔵に収蔵。
  • 1969年 昭和44年
    • 12月18日
      西南院出火。庫裡全焼本堂屋根半焼。
  • 1970年 昭和45年
    • 1月21日
      文化庁(庁保美30号)より国宝・重文文化財公開取扱注意品目決定通知。
      「仏涅槃図、阿弥陀聖衆来迎図、五大力菩薩像、山水人物図、八大童子像、諸尊仏龕、沢千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃、法華経巻第六などが褪色、剥落、材質の脆弱等の理由により公開を制限すると決定」。
      「絵画・書跡・工芸の染織の公開日数は原則として60日以内、臨時の施設での公開は1回12日以内、年2回を越えてはならない」。
      「彫刻・工芸・考古資料の公開日数は年3回を越えてはならない」。
    • 6月26日付
      重文・名勝天徳院庭園天徳院が指定となる。
    • 10月23日
      重文・彫刻快慶作四天王(広目天)像、頭部より発見の「真言一巻」追加指定。
  • 1971年 昭和46年
    • 9月7日
      明仁皇太子殿下、同妃殿下来館。
    • 11月3日〜9日
      横浜市野沢屋百貨店で「高野山秘宝展」を開催。
    • 12月21日〜2月3日
      東京椿山荘(藤田)美術館開催「第三回名品展、高野山宝物展」開催。
  • 1972年 昭和47年
    • 4月〜
      国宝・八大童子像、重文・阿弥陀如来坐像地蔵院が保存修理される。
    • 5月10日
      国宝・書跡不空羂索神変真言経三宝院修復完了。西南院火災で焼損した「和泉往来」も同時修復完了。
    • 5月30日付
      重文・書跡即身成仏品一巻金剛峯寺の内、付属品建保五年九月十四日静遍相承記などが追加指定される。
  • 1973年 昭和48年
    • 1月17日〜11月13日
      真言各本山会と日本経済新聞の共催宗祖御生誕千二百年記念秘宝展(密教美術名宝展)開催。
      • 東京高島屋:1月17日〜28日。
      • 大阪高島屋:2月6日〜18日。
      • 福岡岩田屋:3月30日〜4月4日。
      • 高松香川県文化会館:4月14日〜5月5日。
      • 岡山天満屋:5月11日〜23日。
      • 名古屋名鉄百貨店:6月8日〜20日。
      • 仙台博物館:10月6日〜28日。
      • 新潟大和百貨店:11月2日〜13日。
    • 3月5日〜同月末日
      重文・丈六阿弥陀如来坐像(地蔵院)修理、放光閣の現場にて修理。
    • 6月10日〜18日
      宗祖御生誕記念大法要執行。
    • 7月17日〜10月3日
      伽藍弘法大師御影修復。
    • 7月25日
      円通寺、不動明王画像(鎌倉)修理。
  • 1974年 昭和49年
    • 4月〜
      重文・地蔵菩薩像、重文・一字金輪曼荼羅図遍照光院が保存修理される。
    • 7月4日〜9日
      奥院墓地五輪塔、宝篋印塔等の調査。
    • 9月30日
      宝寿院聖教を収蔵。
    • 10月21日〜昭和50年5月2日
      重文・絵画一字金輪曼荼羅図遍照光院修復。
    • 11月25日
      奥の院石造物新発見12件調査。

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