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高野山 霊宝館(れいほうかん)

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御大師様とのご縁の結び方

空海上人は、今から1000年以上前、承和2年(835年)3月21日に奥之院にすべての人々を救うという御誓願をたてられ入定されました。その83年後、延喜21年(921)時の帝、醍醐天皇の夢枕にぼろぼろの衣をまとい、髪や髭の伸びた僧侶が現れ
  高野山 結ぶ庵に袖朽ちて 苔の下にぞ 有明の月
と和歌を詠まれて消えていかれました。そのときに醍醐天皇は、これは高野山に入定された空海上人のことであると気づかれました。丁度同じ頃、真言宗の長者である観賢僧正より、空海上人に大師号を賜りたいとの申請がありました。そこで醍醐天皇は観賢僧正とその弟子、淳祐に檜皮色の衣と「弘法大師」という贈り名を託されました。

観賢僧正と淳祐は高野山の奥之院に来られ、御廟前へと入られます。扉を開けると一面に霧が立ち込めていました。観賢僧正は、自らの修行が足りないと考えられ、その場で礼拝を始められました。すると、深い霧が少しずつ晴れ、空海上人の姿を見ることができました。そのときの空海上人の御姿は、醍醐天皇の夢枕に現れた通り、ぼろぼろの衣を着、髪や髭が伸びきった姿でした。観賢僧正は空海上人の髪や髭をきれいに剃り、衣をきれいな檜皮色の衣へとかえられ、弘法大師の贈り名を伝えられました。その横ですすり泣く声が聞こえます。横を向くと淳祐が泣いているのです。理由を聞くと、「私は修行が足りないせいか、空海上人の姿を見ることができません」と答えられました。そこで、観賢僧正は淳祐の右手を空海上人の膝にのせられました。すると淳祐は「姿はお目にかかることができませんが確かに暖かさは感じることができました」と喜ばれたそうです。そして淳祐の触れた手にはお香の香りがして、一生その香りが絶えることはなかったそうです。また、淳祐が書かれた写経にもその香りが移り、「においのしょうぎょう」として今でも滋賀県の石山寺に残っています。

そして観賢僧正と淳祐は御廟前を後にします。御廟橋までたどりついた時に橋の横を見るとそこに合掌された御大師様の姿がありました。観賢僧正は「我々などをお見送り頂くなど申し訳ない」と伝えられると、御大師様は「あなた方を拝んでいるのではありません。あなた方の心の中の仏様を拝んでいるのです。私はここに来る全ての人を橋まで迎えに来て、帰る時には橋まで見送りに来させて頂きます」と答えられました。そこで観賢僧正と淳祐は橋を渡った後御大師様、御廟前の方を向き合掌して一礼されて帰られました。その為、高野山で修行を行った人達は御廟橋の手前で一礼し、また帰りの時に振り向いて一礼するようになりました。

このような不思議な体験を昔の僧侶はされています。皆さんにも結縁大師様の右膝を触って頂き、昔の僧侶の方が体験された事と同じ体験をされてはいかがでしょうか?御大師様とのより強いご縁を結ぶことができます。 また、霊宝館では直接御大師様に触れることができます。多くのお寺では本尊様から伸びた五色のひもを握り、ご縁を結ばれます。平成27年の開創法会の時に、金堂や金剛峯寺で秘仏が開帳され、その仏様とご縁を結んで頂く為に五色のひももあったと思います。ここでは離れた場所でひもを握るのではなく、御大師様の目の前で手を合わせて頂き、右膝に直接触れることでより強いご縁を結んでいただけると思います。


648-0211
和歌山県伊都郡高野町高野山306
高野山霊宝館
TEL:0736-56-2029

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