重文|二棟|金剛峯寺|江戸時代
家康霊屋|一棟(附 厨子 一基)
秀忠霊屋|一棟(附 厨子各 一基)|大正15年4月19日指定
徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。
この場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。
大徳院は、代々徳川家との関係が深い寺院で、後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、「大徳院」と改められたともいわれています。
大徳院に東照宮を勧請(かんじょう)することを、早い時期から幕府に参画していた天海僧正に願い出ていたらしく、造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、同20年に竣工し、4月17日には落慶法要が行われました。
建物は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)三間、一重宝形造、一間の向拝を有しています。屋根は瓦棒銅板葺と呼ばれるものです。
内部は絢爛豪華(けんらんごうか)な須弥壇(しゅみだん)と厨子(づし)を設け、蒔絵などが施されています。
寛保2年(1742年)、明和5年(1768年)、元治元年(1868年)、慶応元年(1865年)と小修理が行われました。 唐門は、明治末頃に解体され別の場所に仮安置されていましたが、昭和37年(1962年)、霊屋の解体修理の際、共に戻されました。
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